こっから
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読書
2007.09.14 08:47 | カテゴリー:本・音楽 |昨夜、何ヶ月かぶりに、幸田文さんの『番茶菓子』を開きました。
残り五分の一ほどのページに栞がありました。
なんだかワサワサした気分が続いていて、本も面白いと思ったものを一気に読んでしまっていた春からこっち。
久しぶりに幸田さんの文章に触れ、ゆったりした気持ちになれました。
ゆっくり読むのが愉しい幸田さんの文章は、一時に一題。
昨日は「新年の季感」。
幸田さんの子供の頃の正月の風景が描かれていました。
幸田さんは1904年(明治37年)生まれ。
描かれているのは1910年頃のことだと思われます。
100年近く前ですね。
お正月には、手拭いと足袋と履物が家族一斉に新調されたとありました。
そういえば、うちも小さい頃、お正月には新しい下着を出してもらったり、新しい服を下ろすのを許されたりしました。
母が編んでくれたセーターとかも、その時に出してくれたのかしら。
写真はあるけど、記憶は全くない私です。
今でも、歯ブラシとか服一枚なり何かしら新調してしまうのは、その記憶からでしょうか。
といっても、今は自分のことばかりで、両親がそうしているかは知りません。
歯ブラシは勝手に変えてますが。
幸田さんの文章で印象に残ったもう一つは、「はばかりの窓へ置く小さいお供え」。
「直径一寸ほどのお供え餅」だったとあります。
八百万(やおよろず)の神を意識していた日本らしいですよね。
お手洗いに限らず、どこにも神様は居るっていうのは、小さい頃から意識していました。
で、心の中で「助けて」や「ありがとう」を伝えます。
神様に届いているかどうかは分かりませんし、神様にもコロボックルにも会ったことはありません。
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コメント by ちと村 — 2007-09-14 #
莇平には、あちらこちらの物影に、葉の影に、なにかが息づいていそうなかんじ、しますね。暮らしていると、ふとしたときに包まれて、ほっとするのだろうなあ、と想像します。いいなあ。
沖縄では当たり前のように、「火の神」にお供えをするそうです。
あちらの人は「ヒヌカン」と呼ぶので、正月には「ヒヌカン」用のお供え餅が売られていました。カタカナで書かれるとけっこう迫力あります。
幸田さんの本も、読んでみようかな。
コメント by マサヤン — 2007-09-15 #
昔は、『余所行き』なんて言葉がありましたね。 最近は、正月も普段着のままです。
コメント by ジロー — 2007-09-15 #
ちと村さん、
確かに莇平にはコロボックルが居るのかもしれない。
あぁ、火の神ですかぁ。
いっぱい神様がいて、誰かが絶対見守ってくれてそうですよね。
幸田さんのは、写してみようかなと思うような、言葉もリズムもここちいい文章です。
マサヤンさん、
確かに『余所行き』がありました。
たまにはその機会があるといいのになぁと思いつつ、いつも普段着。
せめて、コギレイにしておきたいけど、それも…。